教会合唱団最後の仕事

去る8月14日、5年間合唱指揮者として働いてきた教会合唱団との、最後の礼拝の仕事を終えました。

ホームの教会、オッガースハイム巡礼教会の内部。後方上部、オルガンのあるところから合唱がうたいます

この日は翌日の聖母被昇天の日の前夜のミサで、マリアの聖歌を中心に4曲を演奏しました。「最後だから」ということはやはり影響したと思うのだけれど、普段をさらに上回る、すばらしい集中力と優しさに溢れた音楽を響かせてくれました。純粋に、「人が人と一緒に息をするってなんて素晴らしいのだろう」と改めて思わせてくれる時間でした。

“Kirchenchor” (教会合唱団) という言葉は、ときに「レベルの高くない不安定なアマチュア合唱団」を揶揄するようなニュアンスで使ってくる人もいますが、合唱をレベルで語ることがそもそも別世界に感じられるかそんな世界があったことを忘れてしまうくらい、僕にとってKirchenchorを指導するという経験は、本当にかけがえのないものであり、かつ本当の意味で音楽的なものでした。

ちょうど5年前の今頃、指揮者候補の一人として、選考のためのお試し稽古 (Probedirigat) に訪れたのが合唱団と最初の出会いでした。緊張で手首を震わせながら、ブルックナーのLocus isteとモーツァルトのAve verum corpusを指揮したことをよく覚えています。このとき5人の指揮者候補がいたのですが、合唱団員投票で9割の方々が僕へ投票してくれた結果、指揮者として迎え入れていただくことになりました。

合唱団の集合写真。右の車椅子のおばあちゃんは、この合唱団で歌って75年になるそうです。(Photo: 山本英人)

それからの5年間、教会合唱団との活動を通して、本当にたくさんのものを受け取りました。「礼拝のためにうたう」ということは、どんな時も音楽の意味を再発見させようとしてくれました (そもそも、自分は今まで何をわかっていたのだろう?という厳しい問いをも突き付けられました) 。今なにがどのくらい「わかった」とやすやすと宣言することはできませんが、5年前とは見えている風景が違うことは確信をもっていう言うことができます。

小さくない変化をもたらしてくれたこれら体験と、それが意味することを考えることは、僕にとって簡単に消化し名付けて終えられるような代物ではなく、もっともっとたくさんの時間と経験を必要とするものです。それで帰国後の活動も、この延長線上に置くところから見出してみたいと思い、「礼拝のためにうたう」ことを目的とする室内合唱団vox aliusを立ち上げることにしました。実際に始まってみないとどうなるかわかりませんが、必ず形にしてみせます。

最後に飲んだ、オガースハイムの地ビール、MAYER’S。
教会合唱団指揮者に就任して初めて街を訪れた時も、今回も、1杯奢ってもらいました。

次の5年はどんなものになるだろう?

実は、軽口で教会合唱団の皆さまに言ってしまいました、「5年のうちに戻ってきて、オッガースハイム巡礼教会でコンサートをする」と。さて、どうなるかな!

追記:
この日はザールブリュッケンから友人であり写真家の山本英人さんが同行して写真を撮影してくださいました。
こちらのリンクで写真を見ることができます (Facebook) 。

(Photo: 山本英人)